群馬県片品村
Katashina Village, Gumma, Japan
『片品村のカヲルさん 人生はいーからかん』(図書出版ヘウレーカ)という本があります。季刊誌で12年続く小さな連載「カヲル婆さんのいーからかん人生相談」を再編集し、今年4月に発売されました。悩みに答える須藤カヲルさんは群馬県片品村に暮らす92歳。連載の読者からは「このコーナーを最初に読む」「カヲルさんに会ってみたい」など厚く支持されてきました。農家として生きてきた一般人のカヲルさんがなぜそれほど読者に慕われるのか、その言葉の魅力とは? 連載を企画し、書籍を執筆した編集者が考察します。
(写真:高木あつ子、文:しまざきみさこ)
Kaworu-san in Katashina-mura : Life is Iikarakan will be published late this month. The book is re-edited the popular serialization column of a magazine that elderly lady Kaworu-san gives unique answers to the readers in trouble, and the subtitle “Iikarakan” means “loose” with the nuance of “let it be” in the dialect of Gumma Prefecture. Kaworu-san has been a farmer living in the countryside of Japan. Why is she so loved?
(photographs by Atsuko Takagi, text by Misako Shimazaki)
カヲルさんを探せ!
2018年5月。「この新緑の頃が、片品村のいちばん美しい季節ですよ」と誘われ、書籍のための追加取材を兼ねてカヲルさんに会いに行った。2008年の秋に連載をお願いしてから、じつに11年目。文字のやりとりだけで繋がってきたカヲルさんとの初対面だ。車が片品村に入ったあたりからソワソワした。
「ここ、ここ! ここが味噌加工所。ここを曲がりまーす」と後部座席のみっちゃん。みっちゃんこと瀬戸山美智子は、2003年に横浜から片品村に移住し、農業や子育ての傍ら「iikarakan(いーからかん)」という屋号でワークショップを催すなど、片品で活躍している。2008年、カヲルさんを人生相談の回答者に推薦してくれた恩人であり、当初からカヲルさんの回答の聞き役、編集部との連絡係を引き受けてくれている一番の功労者だ。
カヲルさんの家が近づいてきた。すると「あ、いた! ほらほら、あの木のところ」とみっちゃん。指さす方向を見ても、まったくわからない。
「ほら、あの家の手前の木の下!」「寝てるかもしれないから、そっと近づいて」
まるで野鳥かタヌキでも探すように見回すと、新緑に揺れる梢の下に、煤けた麦わら帽子が見えた。カヲルさんだった。
カヲルさんが暮らす片品村は群馬県の北北東に位置する。関東唯一の特別豪雪地帯だけあって冬の寒さは厳しいが、そのぶん、春は素晴らしい。早春の花が終わった5月、草むらに山間に川岸に、おびただしい数の生命がさまざまな緑色のグラデーションで湧きあがる。 カヲルさんはまるで、その中のひとつのようだ。木の下に居て、あたかもその一部のごとく、まったく異質でないことに驚いた。
現役のカヲルさん、引退したカヲルさん
「カヲルさん、大丈夫かなあ」と出発前に案じていたのは、フォトグラファーのあっちゃんこと高木あつ子。彼女もまた、カヲルさんに魅了された一人だ。10年前にカヲルさんに出会って以来片品村に通い、カヲルさんの写真を撮り続けてきた。2017年には写真展「片品村のカヲルさん」を開催、カヲルさんも遠路はるばる新宿のギャラリーまでやってきて、展示されている自分の写真に喜んでいた。
通称シルバーベンツ(シニア用カート)を自在に運転し、受注した味噌を仕込み、炭を焼いて、畑で作物をつくる。現役時代のカヲルさんはとにかく働く人。あっちゃんはその姿を、働く女子の大先輩として尊敬し、写真で追いかけてきた。だからこそ、夫の金次郎さんが亡くなり、88歳の誕生日に「引退宣言」して以降すっかり動かなくなったカヲルさんを、いつも心配していた。
あっちゃんの心配通り、カヲルさんはすっかり年老いていた。杖をついて歩く姿に、現役感はない。ほとんど見えない目は、大好きな相撲中継でも力士がわからない。でも、こたつの上の湯呑をとるにも手探りなのに、台所ではフキが煮えていた。「カヲルさんが煮たの?」と尋ねたら、当たり前のように「そうだよ」という。「見えるの?」と訊いたら「食いもんとイケメンは見える」とニヤリ。手のひらにのせてくれたフキは、とても、とてもおいしかった。
取材のあいだ、カヲルさんは休みなく話す。次から次へと、ユーモアを交えながら、お茶やお菓子を勧めながら、よく通る声だ。見回すと古い家は、カヲルさんのこれまでの人生で溢れていた。炭の出荷先が書かれたままの黒板、養蚕に使った籠、畑仕事で汚れた長靴や農具。ああこういう暮らしの中で10年以上も、見知らぬ読者の悩みに答えてきたのか、と少しぐっときてしまう。カヲルさんは、本当によく働いてきたのだ。
カヲルさんという「婆」
「どうしてカヲルさんを人生相談の回答者に選んだのですか?」とよく訊かれるが、タイミングと勘としか答えようがない。誰もがもつような小さな悩みを、身内に話すように相談できる場所にしたかった。会議ではさまざまな著名人が回答者の候補にあがったが、どれもピンとこない。一般の人がいい、と探し回ったが、なかなか見つからない。いよいよ困ったときに、片品村に暮らすみっちゃんが編集部の知人を通じて、「凄い婆さんがいる」と近所の人を推してきた。カヲルさんだった。
そのとき、自分は「婆(ばば)」を探していたのだと思う。「おばあちゃん」や「ばぁば」ではなく「婆」。民俗学者の宮本常一がいうところの「婆さま」、自然や祖先や神、仕事や作法や人生の媒介者である「婆」という存在だ。自分の祖母におまじないをせがむように、悪戯をしてお灸をすえられるように、目に見えないものや現実の社会と自分をつなぎ、知恵や作法を教えてくれる婆。みっちゃんの話をきき、この人だ、と直感した。
知恵と経験を重ね年をとった女性は、「魔力」や「呪力」をもつ存在になるらしい。西洋で魔女というなら、日本には婆がいる。そう確信していた。知恵者としての婆。性別をこえた婆。そして出会ったカヲルさんは、文句のつけようのない「かわいい婆さま」だった。土を食らい、風を嗅ぎ、子どもをぽんぽこ生んで、金を稼いで生きてきた。妬まない、卑下しない、受け入れて生きてきたその言葉にはいつでも、明るさがあった。
わたしたちはカヲルさんの言葉に安堵したり、元気をもらったり、クスッと笑ったりする。そうだよね、そういうもんだよね。と自分の中にあった答えを再確認したりする。当たり前の言葉でも妙に納得してしまうのは、カヲルさんが自分で人生を耕し、乗り越え、長く生きてきたからだ。年長者への理屈抜きの敬愛がそこにはある。みんなにも婆が必要だった。そのことが、このうえなく、嬉しい。
実物のカヲルさんは秘薬をつくる魔女というよりフキの葉の下に寝転ぶコロポックルのようで、ああ日本の婆さまは、精霊に近いんだと感じた。この感覚は、おそらく間違いない。 日本のあちこちに、カヲルさんのような婆がきっとまだたくさんいる。心細く未来を歩くわたしたちに、そのことは何より頼もしい。教わることは、果てしなく多い。もしまたそんな婆さまに出会えたら、わたしはこれからも躊躇なく飛びつき、教わりたいと思っている。
写真:高木あつ子
文:しまざきみさこ
関連書籍
『片品村のカヲルさん 人生はいーからかん』
編者:カヲル組
定価:1500円+税
仕様:四六判、112頁(内16頁カラー)
ISBN 9784909753038
発行:ヘウレーカ
須藤カヲルさん(92歳)が12年続けている人生相談(季刊『うかたま』掲載)が、本になりました。 恋愛、人づきあい、仕事、子育てなどの悩みに対する回答から、「面白い」「癒される」「役に立つ」ことばをピックアップし、その際のカヲルさんとのやりとりも収録。カヲルさんの日常をとらえた写真とともに、「いーからかん」(カヲルさんの口癖で、いいかげん、よい塩梅の意味)に楽しめるつくりになっています。
全国の書店で4月25日頃から販売予定(書店にない場合はご注文をお願いします)。
※本書のお問い合わせは、heureka@heureka-books.com(担当・大野)まで